2009.03.23 素敵な子
昨年の終わり頃、ある患者さんの紹介で中学二年生の女の子がお母さんに連れられて来院しました。
頭痛と両肩から背中にかけての痛みで朝起きられず学校にポツンポツンしか行かれないということでした。冷え性でもあるようです。検査をしても何も無かったとのことでした。
首周辺はどこを触っても痛がり、肩の可動域が少なく、動かすと痛がります。体全体の筋肉に弾力が無く、気力が無くなっている感じでした。脊椎も細かくあちこち曲がっていましたが、特に頸椎の曲がりがかなりありました。
わたしはこのお嬢さんの体がどういう状態かをお母さんに説明しました。そしてお母さんには待合室で待っていただき施術をしました。私は施術をしながら患者さんとおしゃべりすることがよくあります。このお嬢さんにもいろいろお話しましたが、お子さんがいらっしゃったときにはいつも「お母さんやお父さんに感謝しなさいね。普通は子どもが訴えても、『何言ってるのよ子供のくせに。』で済まされてしまうことが多いのよ。ご両親があなたの訴えを真剣に心配してくれたから、ここに来られたのよ。ここで治療をしたくても、両親が無関心だったら来られないもの。」というような話をします。それでこのお嬢さんにもそんな話をしました。でもそれは私のいつもの癖のようなもので、そんなに気にしていなかったのですが、後日、そのお嬢さんを紹介して下さった方が来院されたとき、こんなお話をされびっくりしました。
「先生があの子に『両親に感謝しなさいね。』と言ってくださって、いろいろお話して下さったのが、あの子に、気力を呼び戻してくれて、治療の後お母さんに『お母さん心配してくれてどうもありがとう。私しっかり治療をしてみます。』と言ったのだそうです。それまで親に『ありがとう』なんて言ったこと無かったし、前の病院でとても嫌な思いをしていたので、もう治す気力が無くなっていたのに、治療をしてみようという気持ちにもなってくれたと、お母さんがすごく喜んでいました。」と言われました。
なんて素直で素敵なお子さんなんでしょう。
今まで何人ものお子さんに同じようなことを言っていますが、こんな風に素直に親に感謝したお子さんがいたのかどうか疑問です。今回の事はたまたまお母さんが私の患者さんにお話をして下さったのが私に伝わってきたので、ラッキーな事だったのかもしれません。でも、そのお子さんに素直さに涙が出るくらい嬉しく思いました。
子供の治療は親次第なのです。親が真剣に子供の訴えに耳を傾け、子供と一緒なんとか治そうという気持ちが無いと、治療は続けられません。親が私の治療を受けているお家は逆に親が心配して連れてくるケースがあります。こういう場合はお互いに信頼関係ができていますからとてもやりやすいのですが、親(特に母親)が私の治療を受けていない場合は子供が治療を続けたいと思っても、金額的なこともあって続かないことが多いのです。そんな時、いつも私は悔しい思いをします。解決策があるのに本当に必要なことをしてあげられない空しさを感じます。
そういう事の方が多いので、今回のこのお話は、私に「頑張らなくちゃ。」という気持を湧きあがらせてくれました。「どうもありがとう。」って私の方から言いたいです。
杉並区久我山 松本整体
2009.03.21 かわいそうな「こぶしの花」
ここ何日かバカ暖かく、いろいろなお花が慌てて開き始めました。近くのお寺に咲いている「こぶしの花」がやけに蕾が大きくなったなと思う間もなく、その二日後にはすでにデレッと咲き終わり「もう、この暑さにはついていけませーん。」と言っているようでかわいそうです。
こぶしの花というのは、まだ少し寒さの残る春先にそそとした白い花をつけ、まるで木に雪が降ったような風情になるのが好きでした。花形もチューリップのような形がかわいらしかったのに、そんな時期を楽しむことなく、たった二日で開ききったこぶしの花。一年に一回のチャンスなのに、こぶしの花も悔しいだろうなぁなどと思いながらお寺の前を通り過ぎました。
桜の花も早くも満開になってしまった映像がテレビで映し出されていました。暖かくなるのは嬉しいのだけれど、やはりそれぞれ順を追って、それらしき季節に、それらしき気温の中で楽しむのが一番なのですが、最近の地球温暖化で、だんだん桜の開花も早くなり、桜の花に囲まれての入学式なんていう風景がだんだん見られなくなってしまいました。
これからは、入学を祝ってくれる花の象徴はなにになるのでしょうか。
杉並区久我山 松本整体
2009.03.09 電車での出来事
今日は今どきにしては珍しい光景だったので、少しほのぼのとした気分で電車の中で起こった出来事を書いてみます。
新宿始発の電車が発車までの時間を待っているとき、少し遠くの方で大きな声で小言を言っている女性の声が聞こえてきました。最後に「謝って欲しいわ。謝って。」という大きな声が聞こえ、男性が「ごめん。」という声が聞こえてきました。私の二つ隣の女性が、隣の女性に小さい声で「こんな大勢の中で、謝れなんて言ってかわいそうね。あんなことは二人になったときにそっといえばいいのにねぇ。」と言っていました。隣の女性もうなずいて、それから少し世間話みたいな事が始まりました。
そのうち電車が発車して、ふと向こう側の通路をみると、老年の男性がよろよろしながら吊革につかまっていました。「あれっ。どうなさったのかなぁ。」と思った瞬間、今まで世間話していた隣の席の女性が立って席を譲りました。そしてそのまま男性の立っていた場所で吊革につかまろうとしたら、その前の若い女性が席を立ってその女性に席を譲りました。すると、その隣にいた若い男性が「あっ。」と声をあげて、私の斜め前に立っていた女性に向かい「お母さん、どうぞ座ってください。」と声をかけました。声をかけられた女性は「私はいいです。まだそんな年でもありませんから。」というのを、(確かに、私と同じくらいの年に見えました。)さっきの隣の隣の女性が「若い人が席を譲ってくれる時は、素直に、ありがとうと言って座った方がいいですよ。」と言ったので、その女性は「それなら座ります。すみません。」と言って、男性の譲ってくれた席に座りました。
すると私の隣に来た席を譲られた男性と、その隣の「若い人が席を譲ってくれたら・・・。」といった女性がお互いに、自分が何故足が悪いかという話をし始めました。
そのうち、その男性は私の方に向って「私の足には鉄砲の弾が入っていましてね。少年兵で志願して戦争に行ったサイパンで、鉄砲の弾にあたり、最後の運搬船で日本に送り返されたんです。その時は皆に「運が悪いなぁ。」と言われたのですが、そのあと仲間は全滅でした。二万人の仲間が全員玉砕しました。穴に隠れても、米軍が火炎放射機で焼き尽くすので、みんな自害したんです。」と話してくれました。
その時私は自分が降りる駅に着いてしまったので「お大事に。」と言って、電車を降りましたが、わずか十分くらいの間にこんなにいろいろなことが起きたのは初めてで、「今日はなんて日なんだろう。」と不思議な気分で帰ってきました。でも、こんな風に知らない者同士が席を譲ったり譲られたり、世間話をしたり、なんだか昔の田舎の風景みたいで何となく心が温かくなりました。
杉並区久我山 松本整体